ふーみんみん

日記。

科学館でよく起こる揉め事から科学を考える

私は科学館で4年間アルバイトをしています。

その中で、職員の意見・愚痴や、アルバイトスタッフからの相談を聞くことがよくあります。

 その内容は大きく2つで、「とある人の振る舞い・企画は科学館で相応しいものなのか」「人間関係」です。後者は、コミュニティーを形成することで起こるもの(恐らくみなさんの想像通り)なので今回は掘り下げません。

 

「とある人の振る舞い・企画は科学館で相応しいものなのか」

抽象的なので、具体的な例を挙げていきます。

 

ケース1

科学館で、キャンドルを作るイベントがあった。工程は蜜蝋を溶かし、色と匂いをつけて固めるといったものでした。

そこで「科学館ならばもう少し科学(教育)要素があるものを作るべきではないか」という意見を持つ人がいて揉めた。

 

ケース2

何かを解説するときに、どこまで・どのように説明をするかということで意見が対立する。アルバイトスタッフ間でよく起きる問題である。イメージとしては、お堅い科学用語を使いきっちりと説明する人と、細かいことは気にせず”すごいでしょっ”(言い過ぎですが)と説明する人の間で、対立が起こるといった感じです。

 

 

代表的なケースを挙げました。

 

「とある人の振る舞い・企画は科学館で相応しいものなのか」という揉め事が起きる根底には「どこまでを科学とするかということ(科学の幅)のズレ」があると考えています。

この科学の幅は、グラデーションのようなイメージで、対極にあるのは「科学に教育要素を求める」、「科学に教育要素を求めない」なのかなと思います。 (まぁ、教育にも幅がありますけど、それを掘り返すと沼となるので今回はやめておきます)

 

極端な例ですが、教育要素が強い人が弱い人がすることを見れば、「何やってんだ?おもしろイベントではないぞ!」となり、逆の場合は「そんなに堅くやる必要はないのでは?つまらない」となる訳です。

正しい科学の幅はないと思います。宗教みたいなものです。宗教とは異なり、宗派があるのではなく各々の信仰なので面倒なのですが。

まぁ、しかしこの幅の違いに気づかず揉めているのは良くないなぁとも感じます。

 

文章が長くなってきたので、私の科学の幅に関しては次の記事にでも。