ふーみんみん

日記。

それっぽいことを自信満々にいったもん勝ち?

(これは2022年の1月に書いた下書きを投稿した記事です、現在の私の考えとは若干異なりますが書き上がっていたので投稿します)


それっぽいことを自信満々にいったもん勝ち

 

だなと感じる。

世の中、”ストーリー”と”自信”が揃うと簡単に人を信仰して(騙せて)しまうのだ。それを上手く利用して成功している人が多いのではないか。

 

世の中で信仰されている正しそうな情報でも分解するといい加減だなと思うことが結構ある。例えば、専門家が分かりもしない未来ついて適当な情報と理由を並べて予測したり、過去を適当にピックアップして如何にも分かっていた様に発信するのが最たる例だ。また、上部が綺麗でもよく見ると論理的でない部分や誤魔化しがある情報も多々ある。

結論は同じでもよくわからないストーリー付けをされていたらその情報は信じるだろうか?発信者が自信なさげに話していたら信じるだろうか?(まぁ。そもそも、人間が言葉で説明できるほど、世界も、人自体も単純ではないはずだ。)

 

色々述べたが、情報は”正しさ”よりも、人が”正しいと認識するか”が大切なのだと思う。

その認識のファクターが冒頭で述べたストーリーと自信であると思う。

 

そのように考えていくと、飲むだけ〇kg痩せました!といった如何にも胡散臭い情報とメディア等で発信されている情報は(信じる人の数が違うだけで)根本は同じように見えてくる。(受け手にとって)それっぽいストーリー、信じるに値する話ぶりかが大切なだけである。

 

全ての情報に疑いの目を向け精査するのは、疲れるし、無限に時間があっても足りないだろう。一方で、何も信じないのも現実的ではない。だから、如何にも正しそうな情報(正しそうなストーリー、偉い人が自信を持って話している)を信じる基準になるのは納得できる。

 

私自身も手元にある情報を選定していくしかないのであるが、情報そのものの性質は心に留めておく必要があると思う。

また、視点を変えると、そういった正しくはない情報で世の中が回っている事に気づく。世界は本当に不思議なバランスで成り立っているなと思う今日この頃。(文章の締まりが悪い)