ふーみんみん

日記。

科学はタチが悪い

「科学はタチが悪い」


私が大学院で一番学んだことは?と聞かれたら迷いなく、

  • 科学は絶対ではない
  • 研究はひとつのモノの見方に論理という最もらしいストーリー付け、相手を納得させる活動である

と知れたことだと答えるだろう。

高校生の時は研究者になり、真理を追究するのが夢だった。
しかし実際に研究をしてみると、人間が理解できるのはごく一部で、理解自体が正しいかも分からない、のだと気付いた。あの時の喪失感は今でも鮮明に覚えており、私の信仰が揺らいだ瞬間であったと思う。

(科学は一つのモノの見方としては良いと思ってます。科学の発展で人類が救われたのも事実ですし。あと、研究というプロセスは今でも好きだ)

 

まあ、そんな私も社会人となり、シンクタンクで働いている。

主には科学を使って研究(物語を作る仕事)をしている。

研究活動と似ているが、ストーリーに金や権力が混じり始め、大学院時代より生臭くなった。
虚偽の報告は勿論しないが、色々な人の欲望を汲んでストーリーなんて好きに作れてしまうのが現実だ(勿論それはしないようにしている)。その上出来上がったものは、絶対的なものとして皆に信仰される。

まぁ、違和感を覚えつつも、本当にこの結論で皆が幸せになれるのか、は常に考えて仕事はしているつもりだ。


グダグダ書いてきたが、結局何が言いたかったかというと、

  • 論理は(欲求をカモフラージュし)相手を洗脳する道具にしか過ぎない

ということだ。
更には、

  • 科学は、論理で固め綺麗で絶対的なフリをしているからタチが悪い、結局は人の欲望の塊だ。

ということだ。科学を仕事にしたから気付いたことでもある。

(大学時代は、金や権力とは距離が遠く、影響力も小さかったから気づけなかったが、結局は研究費を取る、良いジャーナルに載せる、共感されたい…などの欲望が根本にあり、仕事生臭さと同じだと思いました。まあ、自分の欲望に気づかず無意識で論理を使っていたなと反省してますね。)


コロナ禍において科学を道具として使うマスコミ、それに振り回されたり、信仰してしまう人間を見て科学のタチの悪さを再確認しているところである。
また、人々の心に訴えるための理屈づけに科学を使う姿を見ると、論理のターゲットは人々の感情や心だとも再認識している。

そうなると結局人は感情で動く生き物だという結論になるので、論理的に考えること(考えること自体)の意味がいまいち分からなくなってきますね。

 

酒の勢いを借りて一気に書きました。
結局この文章も思いを取捨選択して伝わるように書いているわけで、論理をうまく利用しているだけだ、と言われたら反論はできません。

最近の思考は重く根深くなっている、グチャグチャな文章でも少しアウトプットしないと思考に潰されそうなので、ゆっくり更新していきたい。